【アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所】歴史を知らない者は、歴史を繰り返す。【ポーランド】
アウシュビッツへ
前日のうちに電車でクラクフに移動。
早朝7時30分、ツアーの集合場所である、マテイキ広場へ向かいます。
珍しくツアーを使ったのは、これだけはちゃんと正しい情報を、日本語で聞きたかったから。
しかし、有名な唯一の日本人ガイドの方は、長いサマーバケーションの時期でした。
さすがヨーロッパです。
アウシュビッツ強制収容所
バスで1時間ほどで、到着です。
早朝から、すごい人!
逆光で、よく見えません。笑
有名な、アウシュビッツ強制収容所への入り口です。
ワルシャワ大学には日本語学科があるみたいで、それでたまに日本語ペラペラのPolishの方にお会いします。
マグダさんも大学で勉強されていたそうで、流暢な日本語でひとつひとつ丁寧に説明して下さいました。
歴史を知らない者は、歴史を繰り返す。
この言葉はとても印象的です。
1940年6月からの5年間、アクセスの良さからこの場所にヨーロッパ中から集められた人々は、130万人とも言われています。そのうちの、110万人はユダヤ人。しかし実際にガス室に送られた人々の記録は全く残っておらず、わからないそうです。
”アウシュビッツ”というのはドイツ語で戦後はもとのポーランドの地名に戻ったため、現在は博物館だけがその名で呼ばれています。
入口には”働けば自由になる”という意味の言葉が掲げられていて、広場では音楽隊がより囚人がスムーズに早く歩けるように行進曲を演奏していたと言います。
殺人に使われた、ガスの空き缶。
この靴一足一足が、失われた命を意味しています。
例えば、誰かが逃げようとすればその本人だけでなく、10人の人をこの絞首台で見せしめにしたと言います。
ガス室。書いてるだけでも、怖くなってきちゃった。
多くのガス室や火葬場は、証拠隠滅のためにこんな風に、壊されたようです。
壊し方もだいぶ雑だけどね。
このひとつの建物に、700人、多くて1000人の人々が生活、いや、監禁されていたのだとか。
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atsumi

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