バレッタ【聖ヨハネ大聖堂】聖ヨハネ騎士団の歴史と現在【マルタ共和国】
バレッタの中心、リパブリック広場のすぐ真隣に、聖ヨハネ准司教座教会はあります。
非常に目立ちませんので、頑張って探してください。これが、入り口です(´・ω・`)
入場10€、ここは唯一の日本語ガイドあり・:*+.\(( °ω° ))/.:+マルタ共和国内で日本語ガイドは、こことあと5Dのムービーが見れるところがあるんですが、いまのところその2箇所にしかありません。大聖堂はミュージアム併設で同じ値段で入れますが、私が行ったときは閉まってました。ほんと、マルタの施設は開いていたり閉まっていたり、きまぐれです。
聖ヨハネ騎士団の歴史
中に入ると、いきなりものすごくきらびやかになります・:*+.\(( °ω° ))/.:+
西暦1000年頃、エルサレムで聖ヨハネ騎士団の前形である修道院施設が誕生します。
1530年、エルサレムをオスマントルコに占拠されると、騎士団は本拠地を現在のマルタ共和国に移し、マルタ騎士団と名乗ります。現在はショッピングの聖地(?)となっている、スリーマに拠点を置きました。
1565年、マルタ大包囲では、オスマントルコの4万もの兵士に対し、マルタ勢は住民を入れてもせいぜい6000人。それでも、シチリアからの援軍が来るまでなんとか耐えたのが、現在のヴィットリオーザのアンジェロ砦でした。バレッタの先にあるエルモ砦は早期に狙われ、6月23日陥落してしまいます。現在そのエルモ砦にはNational War Museumとしてマルタの長年の戦争の歴史が展示されていますが、これがものすごくよかったです‼︎
また、そのとき人々が救いを求めたのがシチリアの生まれである聖女アガタで、彼女の加護によって救われた、とメリーハにレッドタワーが建てられました。
聖ヨハネ大聖堂
マルタ大包囲で勝利を納めた後、聖ヨハネ騎士団はバレッタを中心に移します。聖ヨハネ大聖堂は1573年に建築がはじまり、1577年完成。要塞のような簡素な外観だけど、17世紀に新しいバロック様式の内装が広まると、壁の彫刻や大理石をローマのようにきらびやかにかえていきました。だから外観は簡素なのに中はきらびやかという独特の謎の建物になったみたいで、調べても中のきらびやかな写真しか出てこないから入口や外観も目立つものと想像してしまっていて、建物の前をうろうろしてたのにちっとも見つけられませんでした(´・ω・`)広場のどまんなかにどーんってあります。灯台下暗し。
足元の墓標は、最も成果を上げた人を追悼するものでこれも17世紀はじめ〜18世紀おわり頃に作られました。トランペットや月桂樹は勝利、がいこつは死や神との繋がり、などを表していて全て大理石で作られています。
この奥のお部屋は若い騎士の礼拝のために建てられた小礼拝堂、その手前の目立つ十字架は木造で、以前火事で焼けた十字架のかわりに1532年に描かれました。
あの有名な”聖ヨハネの斬首”の絵画は現在このお部屋にありますが、撮影禁止!お兄さんが常に見張りをしています(´・ω・`)こんにちはって言われてhelloって返したら、焦っていました。ごめんねお兄さん、合ってるよジャパニーズだよ(´・ω・`)
フランスの騎士団
イタリアの騎士団
アルゴンの騎士団
など、有力な騎士団ほど、祭壇に近い場所を与えられました。
マークアントニオゾンダラリのお墓。1720年〜22年のたった2年間の間騎士団長を務めたイタリア出身の彼のお墓だけがなぜかしっかり祀られています(´・ω・`)
ただ大きすぎてイタリアに作れなかったから、ここに作ったそうですよ。
すごく広くて、全部のオーディオガイドを聞いていたら、日が暮れます(´・ω・`)でも、マルタ共和国にある365個の教会の中でもかなり目玉だとおもうので、ここだけクリアしたら教会はもういいかなーっておもっています。
ちなみに
マルタ騎士団は現在、ロドス及びマルタにおけるエルサレムの聖ヨハネ病院独立騎士修道会という名前で、国連から国として認められているらしいです・:*+.\(( °ω° ))/.:+
日本は認めておらず、国交もないですが、パスポートや切手を発行していて、国連総会でもオブザーバーとして加盟しており、ローマに大使館のようなビルだけが存在するそうです。
バチカン市国より小さいマルタ騎士団国に来週、行って来たいとおもいます・:*+.\(( °ω° ))/.:+

atsumi

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